「俺彼女作ろうと思うねん!」
 その大声に一歩踏み出した足が止まる。そのまま少し固まってから振り返ると、謙也さんは両手をぎゅっと握り力を込めたままの姿で立っていた。
 何をそんなに力んで、とか。なんでわざわざそれを俺に、とか。疑問はあれこれ浮かんだものの全部を口にするのが面倒臭くて、でもアイスを奢ってもらった以上無視する訳にもいかないと、一応話に乗る事にする。
「はぁ……好きな子でも出来ました?」
「いや、おらん」
「ほななんでまた急に」
 入学して三ヶ月、謙也さんに彼女がいるという話は聞いた事がない。この人の性格上いたとすれば必ず耳には入るだろうから多分、今まではいなかったのだろう。一年の頃は知らないが、今まで彼女無しで過ごしてきて好きな子がいる訳でもないのに彼女が欲しいというその気持ちは理解が出来なかった。





「童貞なんか気にせんでええのに」
「え?」
「……あ、」
 俺の呟きに反応した謙也さんと目が合って、そこで考えが声に出ていたと気付く。しまったと口を塞いでももう遅い。この距離なら確実に聞かれてしまっている。
 しかしどう誤魔化すかと悩む間に謙也さんは溜息を吐き、じとっとした目で俺を睨んできた。
「何、それもユウジに聞いたんか?」
「あ、えーっ、と……」
「ほんまあいつ今度しばく……はいはいどうせ俺は童貞ですよー」
 折角機嫌が良くなったのについ出してしまった一言で謙也さんはまたいじけてしまう。若干面倒臭いと思わなくもないが、このままだと居心地も悪いので機嫌を取る事にした。
「俺は童貞なんか気にせんでええって言うてるんです。さっきも言うたけどまだ中二ですよ?経験済みの方がおかしいって」
「そうか?まぁ……確かに俺の周りにも話聞いたんは一人しかおらんけど」
 俺の言葉に納得したのか、謙也さんは頷いてすぐに笑って見せる。ここまで来るとこの人の単純さはいっそ長所かもしれないと思いつつ、俺も内心安堵した。
 謙也さんが勧めてくれたお菓子に手を伸ばしてパッケージを破ると、すぐに謙也さんの手が伸びてくる。取りやすいように開け口を向けると、お菓子を摘まんだ謙也さんは思いついたようにぱっと顔を上げた。
「そや、一応確認しとくけど、財前も童貞やんな?」
「は?」
「俺の事ばっか知られてんのも不公平やん。なぁ、どうなん?」
「……俺、今年の頭はまだ小学生やったんですけど」
 童貞じゃない方がおかしいだろうと遠回しに言えば、流石にこの答えには予想がついていたのか謙也さんはへらっと笑ってお菓子を頬張る。
「やんな、良かったー。これでお前が既に経験済みとかやったら師匠って呼ばなあかんとこやった」
「何やねんそれ」
「あ、じゃあ一人エッチは?した事ある?」





「俺で捨てます?童貞」
 俺があまりにもさらりと言ったので言われた事を上手く理解出来なかったのか、はたまた理解はしたものの衝撃過ぎて時が止まってしまったのか。謙也さんは俺に腕を掴まれたまま微動だにしない。
 謙也さんと見つめあったまま、俺はと言うと迷いなく言ったもののどういう反応が返ってくるのか内心不安で仕方なかった。思いついた瞬間は良い考えだと思ったのだが、それは受け取る側の気持ち次第であるという事を失念していたのだ。
 それでも言ってしまった以上は謙也さんの言葉を待つ事しか出来ない。絡み合った視線は次第に痛みを伴うようになり、それに耐えきれなくなった頃、ようやく謙也さんが動いた。
「は……えっ、と…なんて?」
「……すみません忘れて下さい」
 ぱっと手を離して謙也さんの視線に耐えきれず身を返して背を向けてしまう。そして一気に自己嫌悪に陥った。
 困ったような笑い方。上擦った声。謙也さんの反応はどれも正しい。故にやはり自分がおかしいのだという事を思い知る。
 今更言われる側の気持ちに気付いても後の祭り。背中には謙也さんの視線をひしひしと感じる今、出来る事と言えばこれ以上失言を重ねない為に黙っている事だけだった。
「……あーの、財前?」
「…………」
「……男同士でセックスって出来んの?」
「…………はい?」
 もう一切声を発さずにいようと心に決めた傍から、あまりにも予想外な切り返しに思わず振り向き声を上げた。謙也さんは相変わらず困ったように笑ってはいるが、どうやら嫌悪感を抱いているわけではないようで。
「……出来ます、よ。そら、女の子とするんとは勝手もちゃうやろけど…」
「へー、そうなんや」
 そこまで考えが及んでいないのだろうか。恐らくはそれが正解でこの人は深く考えていないだけだと結論づける。ならばこの話は流してお終いにしようと考えた途端、謙也さんは目を輝かせて嬉しそうに身を寄せてきた。
「じゃあ、うん。そうしてもええ?」
「え?」
「財前で童貞、捨てさせてもろてもええかな」





10.07.29