「財前が倒れた?」
部室でユニフォームに着替えながら、そういや財前おらへんなって思って白石に聞いたらそう返された。
昨日家の用事で俺が部活を休んでる間にそんな非日常な事が起きてたなんて、と驚いてたら既に着替えた白石が肩を落として困ったような表情を浮かべる。
「意識無くした訳ちゃうんやけど、急に倒れて起きれん言うから病院連れてってん」
「…で?今日も休みって事はまさか…」
ふっと悪い予感が脳裏に浮かんだけど、ひらひらと手を振って見せた白石にそれは打ち砕かれる。
「夏バテや。どうやら最近ちゃんと飯喰ってなかったらしくてな」
「夏バテ…?」
「夏休みやしクーラーにやられたんやろ。今日は大事を取って休ませたわ」
言われてみれば夏休みに入ってからこっち、帰り道の買い食いや寄り道でも財前は飲み物以外口にしてなかったような気がする。
練習が終わったら持参した弁当をかっこむ面々を見て、顔を歪めていた記憶もあった。
さして気に留めてなかった事が、まさかそんな大惨事を招いていただなんて。
「謙也、手止まってる。はよ着替え」
「…ああ、うん」
ユニフォームのボタンを一個閉めて、ラケットを手に部室を出た。
今日はダブルス練習できへんな、とかストレッチ組む奴誰にしよ、とか。
そんな考えはすぐに消えて、結局俺は練習中も財前の事ばっか考えてしまった。
「は、え?謙也さん?」
ノックに返された返事を聞いてからドアを開けたら、パジャマ姿の財前がベッドから身体を起こしてるところやった。
急な来訪に驚いたんか財前はぱちぱちと瞬きを繰り返して、もう一度確かめるように俺の名前を呼ぶ。
「…謙也さん?何してんすか」
「何って…お見舞い?」
「俺が聞いてんのになんで疑問形?」
「や、お見舞い。倒れたって聞いたから」
持っていたコンビニの袋を見せれば、財前はまた驚いたように瞬いた。
けどすぐにぺこっと頭を下げて、どうぞて言われたから遠慮なく部屋に入る。
財前はベッドに半身だけ起こして座ったままやから、俺も端に座って袋を置いた。
改めて様子を伺うと、顔色は悪くないものの少し痩せたようにも見える。
かけ布団の上に投げ出された腕は、明らかに以前よりほっそりしていた。
そんな見ればわかる事に今まで気付かんかった自分に若干後悔しても遅い。一先ずは元気そうな姿に取りあえず安心した。
「…今日は?飯喰ったか?」
「喰いましたよ」
「何をどんくらい?」
「…しゃーないでしょ、喰えんもんは」
少し問い詰めれば、財前は観念したのか素直にそう答えた。要するに、何も口にしてないって事か。
何でもいいから食べさせないとと思いあれこれ詰め込んできた袋を漁る。
財前の好きな白玉ぜんざい、カットフルーツに冷えたゼリーも。
食べやすそうな物からおにぎりや惣菜まで。更には飲み物も並べると、財前は瞬いた後呆れたように溜息を吐いた。
「…何これ」
「何って、見舞い品や。こんだけあったらどれか一個位喰いたいもんあるやろ」
どれがいい?って聞けば財前は一応視線を一巡りさせたものの、結局手に取ったのは栄養ドリンクやった。
蓋を開けて一口飲んだそれを再び閉じて、サイドテーブルに置く。
それ以上手を付けようとしない財前は、また溜息を吐いた。
「こういうのは既に家族にされましたわ。昨日からあれこれ並べられて。冷やしぜんざいなんか鍋で出されたし」
「喰えたん?」
「スプーン三杯位」
「あかんやん」
そう窘めても、財前は仕方がないって言葉を繰り返すだけ。
夏場に食欲が無くなる事態に陥った事がない俺にはわからんけど、どうやら財前はほんまに食欲が失せてしまっているらしい。
「腹は減ってる気がするんやけど…食べたいもんが思い付かないんです」
「白玉ぜんざいもいらん?」
「喰いたない」
その言葉を聞いていよいよ重症やと思った。
あの甘党王子の財前が大好物の白玉ぜんざいを喰いたくないなんてありえへん。
どうしたもんかと頭を悩ませてたら、考え過ぎてエネルギー消費したんか俺の腹が鳴った。
その音はしっかり財前にも聞こえたみたいで小さな笑いが漏れる。
「腹減りました?」
「…そういや昼飯喰ってなかった」
「え?」
「部活終わってすぐ来たから」
空腹を自覚した途端に目の前に並んだ食べ物が美味しそうに見えてくる。
いやいやこれは財前の為に買って来たんやから俺が喰っていいものでは、と悶々しつつも俺はおにぎりを凝視してたらしく、小さく笑った財前がそれを手に取ってフィルムを剥がしだした。
綺麗に海苔を整えたおにぎりは、俺の目の前に差し出される。
「え?」
「謙也さんが喰って。勿体ないし」
「…俺お前の為に買うたんやけど」
「まだ食欲わかないんすわ。謙也さんが喰ってるとこ見たら俺も喰いたなるかもやし」
「……いただきます」
暫く内心で葛藤したものの、もう一度鳴った腹には逆らえずに差し出されたおにぎりを受け取った。
まだパリパリ感を保っているそれにかぶりつくと、財前はパックの烏龍茶にストローまで挿して手渡してくれる。
お見舞いに来た筈なのに甲斐甲斐しく世話を焼かれてどうすると若干居た堪れなくなり俯いていると、ふと視線を感じて顔を上げた。
視線は勿論財前の物で、目を細めて軽く口角を上げたそれは柔らかい印象を感じる。
「…なに?」
「や、美味そうに喰うなって」
「美味いよ。食べる?」
「は?」
得に意図はなかった。ただ、財前が美味しそうって言うから。
喰うかなって、そう思って。やから、財前の手じゃなく口元にそれを差し出したんは単なる偶然。
それをちょっと間違ったんかなって思ったんは、財前の戸惑ったような視線を受けてから。
「…謙也さん、俺小さい子でも重病人でもないっすよ」
「あ…や、これは…つい、や」
「ふうん」
あはは、と渇いた笑いを漏らして、でもなんとなく手は引っ込められずにいると、財前の小さな口が少し開くのが見えた。
端の方を少しだけ、やけど。財前は俺の手からおにぎりをかじって、もごもごと口を動かしている。
「あ、喰った」
「ん…米粒喰うたん久々っすわ」
「も、もっと喰い!全部!ほら!」
促すようにおにぎりを口に近づけると、やや顔を引いて眉をしかめられはしたが財前はおずおずともう一口かぶりついた。
結局俺が食べた一口分以外を平らげた財前は俺の手からパックを取って烏龍茶を啜る。
「喰えたやん」
「喰えましたね」
「よっしゃ、次どれいく?」
俺は自分の空腹なんかすっかり忘れて財前に喰わす事で頭が一杯やった。
少し迷って、それって指されたんはやっぱり白玉ぜんざい。
カップの蓋を外しスプーンを袋から取り出して、白玉とあんこを絡めて財前の口に運ぶ。
それに食いついて右頬で白玉を遊ばせながら、財前は肩を落として小さく溜息を吐く。
「俺、謙也さんに餌付けされとる雛鳥みたい」
「雛鳥?」
「親鳥は雛に餌を与えることによって自分が親やでって刷り込むんやって」
「へー。光物知りやな」
「どうしてくれるん?」
「何が?」
「俺が、謙也さんの手からしか飯喰えんくなったら」
財前が白玉を飲み込んだのと、俺が目を丸めたのがほぼ同時。
すぐに次を口に運んでやろうと掬っておいた次の白玉が、あんこごとカップに落ちた。
「…え?」
なんとか出た声はそれだけで、財前はじっと俺を見つめたまま。
その視線に縛られたように動けないままでいると、音を立てて息を吐き出した財前が俺の手からぜんざいのカップとスプーンを奪い取る。
「あ、」
「…そうなったら困るんで、自分で喰いますわ」
言って、財前はほんの少しだけあんこを掬って口に運んだ。
その仕草を見ながら、何故か沸々と気持ちが苛立ってくる。
なんで、とかそんなんはわからんけど。考えてる間もスプーンの先でつんつん白玉をつつくだけの財前を見てたらそれは余計に膨らんで。
気付いたら俺は財前からカップとスプーンを奪い返してた。
「あ」
「喰えてへんやんけ、ほら」
ずい、と先程よりやや力強くスプーンを財前に向ける。
唇に付かんばかりの距離まで寄せられた白玉に瞬いた財前は、一度そちらに目を向けて次に俺を見上げた。
上目に見られ少し心が跳ねて、スプーンを持つ手が揺れる。
それでもしつこく手を引かずにいると、財前はようやく口を開けて白玉を口内に招き入れた。
さっきまで同じ事してもなんとも思わんかったのに、今回はなんかどきどきする。
苛々同様それがなんでかはわからんけど、口を動かす財前を見てるとどきどきはもっと大きくなった。
その内心が財前にバレたらどうしようと思って目を逸らすと、空気が揺れて財前が笑ったのがわかる。
ちら、と横目で伺えば、財前は思った通り笑ってた。
「…なんやねん」
「いや…謙也さんほんまに俺を餌付けしたいんかと思って」
「ええから喰え」
「困る、って言うてるのに」
「困ったらええわ」
「え?」
気付いたらそう口走ってた。目の前には財前の驚いた顔。多分、俺も似たような顔してる。
自分の発言に驚いた。でも、それは多分本心。
俺の手からしか飯が喰えなくなったら困るって言う財前が、困ればいいと。そう、思った。
「…どういう事や」
「…や、こっちの台詞っすわ」
意味がわからないと言うように瞬く財前は、身を乗り出して俺の顔を覗きこんでくる。
そんな風に見なくても別に熱がある訳でも頭が沸いた訳でもない。と思う。多分。
じゃあなんでそんな風に思ったんかって考えたら、それもやっぱりわからんかった。
「財前」
「なんですか」
「取りあえず、俺暫くはお前の飯係するわ」
「はぁ?」
「ほら、お前また倒れたら困るし」
口ではもっともらしい事を言うたけど、内の本心は多分違う。
倒れられたら困るのもほんまやけど、この気持ちがはっきりするまで財前の傍におる口実が欲しかった。
そんでこんな事続けてたらきっとわかる気がする。そう思ったから。
「…俺が倒れても困るやろけど、俺が謙也さんから離れられんくなったらもっと困るんちゃいます?」
けど、財前がこんな事言い出して、そうなっても別にええかなって思った俺は多分。
もう、さっきまでわからんかった事がわかってるような気もした。
そしたらその時また考えるわ、なんて適当な事を言って財前の口にぜんざい押し込んで。
もう暫く、わからんフリ続けようって思った。
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光って夏バテしそうですよね。あと偏食そう。
ベタなシュチュエーションに弱いので、あーんとか大好きです!光から謙也くんにやるのもいいけど。
雛鳥の話云々は詳しくは知りません。光の知識も私程度と言う設定でお願いします。都合良く。
10.08.17