「謙也くん、こっち」
ざわめきの飛び交う中、聞き慣れた声に名前を呼ばれて振り返る。
ファーストフード店の二階、階段を上ってすぐ傍の席に待ち合わせ相手の光は座ってた。
テーブルの上のトレーにはドリンクのカップと丸められた包装紙。それを見て、少し表情を歪めながら俺も向かいの席に座った。
「お前なぁ、誕生日の飯位もっとええもん喰えよ」
「遅刻した誰かさんの所為で空腹が限界やったんすわ」
「う……ごめん」
「ま、えーけど。どうせ夜はどっか予約してくれてるんでしょ?」
「うん、まぁな」
付き合って8年も経てばサプライズのネタも尽きて、更にはパターンも読まれてしまう。
どちらかの誕生日にはディナーの予約を入れて食事するのは4年前からのお決まりやったし。
光に言い当てられる事も今ではそう気にならなくなった。時間の経過は色んな事を変えていく。
「でも、忙しかったんちゃいます?レポート間に合った?」
「俺を誰やと思ってるねん。スピードスターは健在やで」
「はっ、スピードばっかで結果出てないとかやないといいですけど」
「お前はほんま…」
でも、こうして変わらん事も多い。光は相変わらず生意気やし、身長差だって埋まる事はなかった。
8年経った今でも、俺らはこうして二人でいる。そして。
「じゃあ行きましょか、謙也くん」
この日だけは、光が俺の呼び名を変える事も。
「謙也くん、次俺らで試合やって」
少し離れた位置から光に声をかけられて、すぐに行くと返事してもう一口スポーツドリンクを飲み下した。
ペットボトルの蓋を閉めていると、隣に居たユウジがぼそりと呟きを洩らす。
「もうそんな時期か」
「なにが?」
「財前が「謙也くん」呼びな時期。これ聞くと夏やなーって思うわ」
単調にそう言うユウジに、思わず目を丸めてしまう。
そして少し考えて、でもわからんかったから素直に問い返す事にした。
「どういう意味?」
「どういうって…財前中学ん時からこの時期はお前の事謙也くんって呼ぶやんけ」
ずっと謙也さん呼びやのにって、言われて初めてそう言えばって思った。
確かに光は中学の頃から時々俺の事を謙也くんって呼ぶ。それは知ってたけど大概は謙也さんやし、時期なんて気にした事もなかった。
「この時期、なんや」
「お前気付いてなかったん?」
「うん、全く」
「…そうか。案外鈍いな」
「鈍い?」
「今日、なんでこうして集まってるんか考えてみろや」
考えろ、と言われて思わず周囲を見渡した。
白石がいて、金ちゃんがいて、千歳もおる。小石川も銀も小春も、中学ん時のテニス部レギュラーメンバーが勢揃い。
高校で離れた面子もこうして集まっているのは、今日が光の誕生日やから。
テニス部部長として頑張ってる光を祝うと共に久々に皆でテニスをしようという目的のもと、こうして集まった。
テニスと、光の誕生日。集まってる理由を考えて、でもユウジの言う意味はわからんからもう一度視線をそちらに向ける。
「考えたけど、わからん」
「…ちょい財前が不憫やわ」
「なんで?光が呼び方変えるんと、この時期なんか関係あんの?」
「あるやろ」
「なに?」
「本人に聞けばええやろ。ほら呼んどんで」
顎で示されてそちらを向けば、光は既にコートの中でこっちを不機嫌そうに眺めてた。
慌ててコートに入って謝ると、光は返事をせずにラケットを構える。
怒らせたかなと思ったけど試合が始まれば以前の様に身体が動いて、普通に声もかけられた。
「謙也くんそっち!」
ラインギリギリの球をなんとか打ち返しながら、呼ばれた名前にユウジとの会話を思い出す。
そうすると少し気になりだして、帰りほんまに聞いてみようと思いながら次は俺が光の名を叫んだ。
「…ありましたね、そんな事」
思い出話を持ちかけると、光は少し恥ずかしそうに笑って切り分けた肉を口に運んだ。
夜景の綺麗なレストランでの食事。まだ大学生の二人には不釣り合いな場所やけど、一年に二回の贅沢やからと思いきって選んだ。
酒が得意じゃない光は烏龍茶を飲んでるけど、シャンパンが少し回った俺は気分が良くてそんな話を光に振った。
「あの時は教えてくれんかったな、結局」
「そうでしたね。まぁ、照れ臭かったんすわ」
「もう照れ臭くない?」
シャンパングラスを傾けて、口に添えながら聞けば光は数度瞬きを繰り返す。
その間に空いた皿を下げに来たウェイターにほんの少し頭を下げて、もう一度光を見れば表情はきょとんとしたままだった。
ボトルを手にして空いたままの光のグラスに少しだけ、シャンパンを注ぐ。
シュワシュワ泡の弾けるそれを同じ様に見詰めた光は、少しして俺に視線を戻した。
「光も飲み。そんで教えて?なんで、この日だけ呼び方変えるんか」
「……謙也くん?」
「いいやん、聞かせてや。俺知りたい」
自分のグラスにも注ぎ足しながら言えば、光はややして目線を逸らす。アルコールを飲んでもいないのに、少しだけ頬が赤かった。
「…謙也くん、趣味悪い」
「なんで」
「もう、とっくに知ってるくせに」
そう。光の言うとおり、俺はもう知ってる。光がなんで、この日だけ俺を謙也くんと呼ぶのかを。
知ってて聞いた。あの頃と違い色んな事が変わって、それでも尚変わらない今の二人の間柄なら、素直に口にしてもらえるかって。そう思って。
「やっぱ、ちょお意地悪やった?」
「うん、意地悪や」
「でも知りたいで?今でもそうする理由は」
「え?」
「もうとっくに気にする時期は過ぎたやろうに、今でも続けてる。その理由は知りたい」
そう告げると、今度は口をきゅっと引き結んで黙り込んでしまう。
視線をテーブルに落として、そのまま時間は過ぎていった。
近くに立っていたウェイターがちらちらこちらを気にする様が見えて、光にわからないように掌を押して合図した。まだ早い。
「もしかして、まだ気にしてるん?」
「……そう、かもしれません」
「そっか」
自分ではたいした事でないと思っていても、他人にとってはそうじゃない事なんて沢山ある。
でも出来れば光とは、他でもない光やから、その辺の価値観は同じでいたい。
「じゃあ、しゃあないな」
「え?」
「俺が数ヶ月早く生まれた事で出来た学年の差は、今更埋める事は出来んけど」
「………」
「きっといつか、気にならん日は来る」
ポケットからハンカチを取り出して、光に見えるように目の前で振る。
それを光のグラスに被せて、真っ直ぐに見つめて、笑った。
「その日まで、一緒におろうか」
一回、手首を上下に振って、カラン、と綺麗な音が鳴った。
ハンカチを持った手を引けば、光の見開かれた目がシャンパングラスを凝視する。
泡を纏った指輪が沈むグラスをこれでもかって程見つめて、やがて信じられんって顔してこっちを見た。
「な、に……」
「誕生日おめでとう、光。結婚しよ」
「は…ええっ!?」
光の上げた変な声のすぐ後に、ロウソクの灯った小さなホールケーキを抱えたウェイターがテーブルにやって来る。
おめでとうございますって控えめに言って、光の前にそれを置いてすぐに身を翻す。そんな彼に光は少しも視線をやらなかった。
見開いたままの目で、ただ俺を見て。それはもう顔を真っ赤にして、口をぱくぱくさせている。
「光?」
「…あ、あんた、正気ですか!?」
「正気や。酔ってはいるけども」
「じゃああほや!やっぱあんたあほや!」
遂に頭を抱えた光はこんな人目のあるとこで、とか恥ずかし過ぎて死ねる、とかぼそぼそ呟いてたけど。
肝心の言葉が聞こえん俺は不満で、少し身を乗り出して光にキツイ眼差しを向けた。
「なぁ、返事聞こえんねんけど」
「っ、あんなぁっ!」
「返事じゃない言葉は聞きませーん。あ、心配せんでも俺就職先決まったから」
「え、ほんまですか?」
「うん、結構大企業やで。どう?お買い得物件」
「………っ」
得意げに笑って見せれば、光はぐっと言葉を飲みこんで下唇をきつく噛み締める。
そして勢いよく伸ばした手でグラスを掴み、シャンパンを一気に飲み干してしまう。
だん、と中身のないグラスをテーブルに突き立てて、真っ赤にした顔でこちらを睨んで。
ちろ、とそれ以上に赤い舌の先に引っかけた指輪を見せて、舌っ足らずに呟いた。
「…ま、ひゃーないっすわ」
「言えてへんで。てかそれが返事?」
「そうれふ」
「ほんま、素直やないんも変わらんなぁ」
言った後に、けどそれこそしゃーないかと思って、光の舌に手を伸ばして指輪を取る。
テーブルの上でもじもじしてる左手を捕まえて、真っ直ぐに光を見据えた。
「謙也さんでも、謙也くんでも、好きに変えて呼んだらええけど」
「………」
「ずっと、一緒にはおってな」
「謙也くん…」
「そこは、変えんで」
8年経って、変わった事も変わらん事も一杯ある。でも。
一緒にいるっていう事実と、泣きそうになりながらも笑った光の笑顔だけは変わらんで。
そう願って、薬指に指輪を嵌めた。
また一つ、変わった事が増えた瞬間やった。
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光誕生日おめでとう第二弾!もう結婚しちゃえよお前ら編でした。
謙也くんならどんなキザな事でもしてくれる筈!例えそれが一昔前のドラマですらしないような事だって!
因みにこの話の謙也くんは医者になりません。何故なら私が医者の資格取る時期とかわからんから。ごめん謙也くん。
浪速ともあれ光誕生日おめでとう!大好きだ!!
10.07.21