「どないしてん謙也。さっきから溜息ばっかり吐いて」

机に預けた体重が重くて、どうにも身体が起き上がらない。目だけで声のした方へ視線を上げると、そこには相変わらず整った顔をした白石が目を丸くして俺を見下ろしてた。
溜息。そんな何回もしてたかな。自覚ないけど。いやでも今の心境考えたらそら溜息も出るやろう。柄にもなく悩みを抱えている今、どうもいつもの調子が出ない。
一応誰にも話さないつもりだったけど、白石ならええかな?そう思ってなんとか上体を起こして、白石に向き直る。

「あんな白石。馬鹿にせんと聞いてくれるか」
「なんやねん改まって。俺と謙也の仲やないか」

途端表情を引き締めてきりっとキメ顔を作った白石は自分の机の椅子に横座りし、俺の机に肘を突いて身を寄せてきた。
こういう顔してる時の白石は面白がってる証拠なんやけど、今はそうも言ってられない。周りでこの手の話が出来そうなのは白石くらいやしと、腹を括って口を開いた。

「あんな、俺な」
「おん」
「モテ期に入ってしまったみたいやねん」
「………は?」

興味津々と言った感じで頷いていた白石が、一瞬で間の抜けた顔になる。口を開けたまま、暫く固まってしまった。
そしてその硬直が溶けて、包帯の巻かれてない右手で頭をかいて、明らかにこいつあほちゃうかオーラを放ってる。
面倒くさそうに細められた目が向けられたところで、もう一度念を押すように言い直した。

「ほんまやって!俺今モテ期やねん!」
「あー、そーかそーか。モテてモテて困ってますの溜息やったんかー。ウザい謙也ハゲろ」
「ハゲ、っ!ちょ、その悪口一番傷付くから!」
「で、何を困る事があるねん。告白してくる娘が全員不細工とか?」
「お前んな、素で言うなや。ちゃうよ」
「因みに誰」
「……小林さんと、岡村さんと、美智子ちゃんと、田中さんと、淳子ちゃん」
「…各クラスの美人揃いやないか」
「これがここ二週間に告ってきた子や」
「お前ほんま喧嘩売ってんのか?」

ずい、と身を乗り出してきた白石は目が据わっていて若干怖い。白石だってモテないわけではないだろうに。
そう思いながら違うねん、と前置いて本題に入ろうと一層顔を寄せる。口元に手を添えて、小声で白石にこう告げた。

「お前、どういう基準で告白断ってるん?」
「は?」
「やから、お前告白されても断ってばっかやん。それ、どういう基準で断ってんの?」

すると白石は数度瞬いて、まじまじと俺の顔を凝視してきた。切れ長の目がまんまるくなって、やがてすーっと元の大きさに戻っていく。
そして一度大きく息を吐き出して、くだらないとでも言うように右手を振って見せた。

「なんやそれ。そんなん好きか好きじゃないか、に決まってるやん」
「でも白石、俺の知る限り一回も付きおうた事無いよな?」
「無いで」
「好きじゃなくても可愛かったら一回くらい彼女にしとこう、思わんかったん?」
「思わんくはなかったけど、まぁ俺にはテニスがあるしな。忙しいやろ」
「忙しいから彼女作らんのか?」
「それやな。好きな子ならともかく、そうでない子に可愛いって理由だけで時間割けんやろ」
「……そーか」

やっぱそうやんなー、と再び頭の中がぐるぐる回り出す。両手で頭を抱え込んでいると白石が、で?と声を発したので顔を上げた。

「へ」
「お前全部断ったん?」
「うん…いや、最後の淳子ちゃんだけまだ返事して無い」
「ほお」
「や、ちゃうくて、返事する前に考えてからでええから、って逃げられたんや」
「でも断るんや?」
「…多分」
「なんで?」
「なんでて、」
「言葉を返すようやけど、可愛いから付き合っとこうて思わんの?」

白石の問いかけに言葉が詰まる。確かに思った。可愛いし自分のタイプにも当てはまるし、1年の時同じクラスでちょっといいなと思ってはいた。
でも付き合うとなると違う気がして、悩み出したらこれだ。頭が上手く回らない。
勇気を出して告白してくれた子に、少しでも可能性があるなら付き合ってみるべきなのかとか。そこから恋心が育つ可能性は無きにしも非ずな訳だし。
けれどでも、と考え出すときりが無くてこの現状。嬉しくない訳は無いが、頭が痛い。

「うーん、うううーーーん…っ」
「あ、そや謙也。こんな話聞いたことあるで」
「うん?」
「告白されて気持ちがよおわからん時は、その子とキス出来るか想像してみるんやって」
「はあぁ!?」

白石から出た単語に思わずがばっと机から上体を起こす。思いっきり動揺してしまった俺に反して、白石はあくまで淡々とその話の続きを述べた。

「この子の事嫌いちゃうけどそう言う意味で付き合えるんかなーって思った時は、頭ん中でその子とのキスシーンを想像すんねんて」
「……で?」
「で、ドキドキしたらイケるって事やろ」
「そ、そんなもんか?」

自信有り気に言う白石だが、どうもその感覚はわからない。なんといってもファーストキスもまだな自分にはちょっと高等テクな気がする。
普通女の子とキス、なんて相手が誰だろうとドキドキするもんなんじゃないだろうか。まだした事ない自分は余計に。

「えと、じゃあ白石は今まで告白された子との想像ちゅーは全滅やったん?」
「いんや、考えた事も無いわ」
「は?」
「やからこれは聞いた話やって」
「おま、そんな自分で試した事も無い癖に言うてたんかい!」
「ほな今試したるわ」

そう言うと、白石は黙り込んでじ、っと俺の顔を見据えてくる。その視線がやけに真剣で、思わず少し身を引いてしまった。

「な、なに…?」
「………」

白石は答えず、暫くそのまま時が流れる。しかし徐々にその真剣な表情が嫌そうな顔に変化して、最後にはまた大きな溜息が聞こえてきた。

「あかん、無理」
「へ?」
「謙也とちゅーとか、絶対嫌やわ」
「はぁっ!?」
「俺お前とは付き合えんみたいや。悪いな」

さらりと言ってのけた白石はそのまま椅子に座りなおして前を向いてしまう。
告白してもいないのに勝手にちゅーの想像をされ、更には振られたらしい事に気付いて一気に頭に血が上る。

「っ、しらいしー!俺は真剣に悩んでんのやぞっ!」
「うわ、触んなや!お前とは付き合えへん言うてるやろ!」
「誰が付きおうて欲しいか!お前こそハゲてまえ!」
「ハゲんのはお前や脱色ヘタレ!」

結局相談は白石との大声での言い合い、故に注目されたクラスの女子の冷たい視線で幕を閉じた。
白石は見た目に反してこんなんだからモテないのだ。自分は見た目通りだけども。
けれど、そのまま授業に入ってしまってからもなんとなく白石が言った事は頭から離れなかった。
告白してくれた子達とのキス。想像なんて簡単に出来そうなそれは中々に難しく、結局授業が終わる頃になっても思考は渦巻いたままだった。






「浪速のスピードスターやなくて、スロースターって呼んでやりましょか?」
「………すんません」

部活を終えた帰宅途中、横に並んで歩く光はずっとねちねち似たような嫌味を吐き続けている。しかしそれに言い返す権利が自分には無い。
ダブルスの練習試合、パートナーを組んだのは光。対戦相手は師範とユウジ。
決して勝てない組み合わせでは無かったのに、試合内容は散々だった。どれもこれも自分のミスで、光は少しも悪くない。
お陰で向こう一週間の部室掃除が命じられてしまった。二人揃って、なのだから光がこうして文句を垂れている事に文句など言える筈もなく。
ちら、と横目で伺えば表情はいつも通り、けれどやはりどこか不機嫌そうに目は少し伏せられていた。
こうして見ると睫毛長いなぁ、なんて考えながら眺めていたらふとその目線がこちらに向けられ、思わず顔を逸らしてしまう。

「なんすか」
「いや、なんも」
「ほんま勘弁して下さいよ。尻拭いするこっちの身にもなってや」
「…やからごめんって」
「ほんまに悪いと思ってんすか」
「思ってるよ」
「じゃあ奢って」

さらりと当然の様に言った光は自販機を指差して少しだけ口角を上げた。本当にこの後輩は、先輩を敬うという気持ちが少しも感じられない。
まぁ缶ジュース位仕方ないかとポケットを漁って小銭を取り出す。ひぃふぅみ…と数えて自販機の前で立ち止まった。

「どれ?」
「しるこ」
「…お前そのうち血液あんこなんで」
「はっ、医者の息子が何を有り得ん事を」
「血糖値の事言うてんのー!」

言いながらもご希望通り缶汁粉のボタンを押して、取りだし口から拾い上げて差し出してやる。我ながらなんて良い先輩なのだろうか。
なのに光は「ども」なんて申し訳程度に首を縦に動かしただけで何の躊躇いもなく封を開けて缶に口を付けた。本当に可愛くない。
一つ溜息を吐いて、自分様にスポーツドリンクを買って半分ほど一気に飲み干した。そうすれば少しは頭がすっきりした気がする。

「はーあぁ」
「なんすかこれ見よがしに。溜息なら俺に聞こえんように吐いてくれます?」
「お前なぁ、そこは心配してなんかあったんですか?位言うところやで」
「なんかあったんですか?」
「………」

即座に棒読みで切り返してきた光は視線を遠くへ投げたままだった。まるで気のないように言われ、むかっとした気持ちが湧き上がる。
しかしすぐに考え直して、少し困らせてやろうかと口を開いた。

「お前キスしたことある?」
「ありますわ」
「ええっ!?」

困らせるつもりが、こっちが驚いて思わず手にした缶を落としそうになった。
足を止めてまじまじと光を凝視すると、振り返った表情はいつものポーカーフェイスのままで。

「何止まってんすか」
「ま、マジで?」
「マジっす」
「うそや…」
「生まれて間もなく母親に奪われてん」
「って、それはノーカウントやろ!」

びし、と右手で切れよくツッコミを入れると、光は少し考えてから「じゃあ無い」とあっさり言ってのけた。
物凄く動揺を露わにしてしまったのがあほみたいやと落ち込んでいると、ずず、と汁粉を啜った光が数歩分先へ進んだ距離を戻ってくる。

「で?」
「へ?」
「なんでそんな話なんすか。謙也さんかってした事ないでしょ」
「…なんでそんなんわかんねん」
「だってなさそうやし」
「…悪かったな」

真っ直ぐ見据えてくる目が居心地悪くて斜めに逸らすと、暫く沈黙が続きやがてぼそりと光が呟きを洩らした。

「するん?キス」
「…は?」
「最近モテモテらしいから」
「…なんで知ってんねん」
「俺のクラスの女子にも、謙也さん人気やから。そう言う話聞かんでも聞こえんねん」
「へ、へぇ…そうなんや」

かん、と歯が缶に当たった音が小さく響く。飲み口をかちかち噛みながらも、光は目でこちらの動きを追ってくる。
ああ、やっぱりこんな話するんじゃなかった。別にモテない話じゃなくてモテる話なのだから自慢してもいい筈なのに、何故か異様に恥ずかしい。

「なぁって、謙也さん」
「え…?」
「キス、するん?」

再び問われて、何故か急に白石の言っていた事が脳裏に浮かんだ。
その子とキス出来るかどうか、想像が出来たなら。

「謙也さん」
「っ、」

自分の名を呼んだ光の舌が、缶の溝に流れた汁粉を軽く舐め取った。
ただそれだけの事なのに、一気に頬が熱くなる。じっと見上げる光の目と、赤い舌。焦点が定まらない。
そして、リアルに浮かんだ映像。その目を覗き込んで、甘いであろう唇に寄せ、赤い舌を捏ねまわす、
自分の、舌。

「謙也さん!」
「へ…うわぁああっ!」
「…何やねん急に。黙ったかと思ったら叫び出して」

頭大丈夫っすか?なんて言う光の顔が気付けば物凄く至近距離にあって、思わず大声を出して身を引いた。
心臓が打つ脈がいつもより断然早い。顔も熱い。喉が渇く。
なんだこれはと考え理解するより前に、再び光が溜息を吐いた。

「ほんま変な人。俺は只キスするん?って聞いただけやのに」
「や、やって…そんなん…」
「謙也さんのすけべえ」
「なっ、なんやと!?」

身を翻して先々歩いて行ってしまう光に慌てて駆け寄り横に並んだ。
まさか自分でキスの想像をされていたとは思っていないだろうが、言い様に腹が立って平然を装い腕を組む。

「けどそやな。俺もそろそろ彼女欲しいと思ってたし、ファーストキスも言うてる間やろうな」
「へぇ、やっぱするんや」
「そらそうやろ。もう中三やしええ頃合いや」
「…ふーん」

自分で聞いておいてそれだけの返答かと眉間に皺を寄せて見れば、光はどこか遠くを見ている様で相変わらず缶の淵を噛んでいた。
何を考えているのか読み取れずそれ以上話を続けずに黙っていると、不意に光が立ち止まる。
数歩進んでから振り返ると、その目はまだ遠くを見ているようだった。

「光?」
「………」
「おーい。こらひかるー?どうしてん」
「…じゃあ、俺が先に奪っとこかな」
「は?」
「えい」
「ぶっ、」

え、と思った時にはもう唇に暖かいものが押し付けられていた。
それは光の飲んでいた汁粉の缶で、途端口内に微かな甘味が広がる。
何事かと目を丸めていると、缶を突き出した光は表情を変えずに口を開く。

「奪っちゃった」
「ふ、え?」
「なんちゃって」

すっと腕を引いて一度缶を眺めてから、光はゆっくりと歩き出す。
暫し呆然とその背中を眺めて、追いかけようとは思いつつも足は全く動かない。
それに気付いたのか数メートル離れたところで首だけで振り返った光は少しだけ笑っていた。

「もしほんまにキスする予定出来たら、前もって教えて下さいね」
「…は?」
「その時は、ほんまに奪いに行きますから」

そう言って、光は手にした缶の飲み口に軽く、ふわりと口付けた。様に見えた。
実際は先程までの様に汁粉を舐めただけかもしれない。けれど自分にはそう見えて。
熱いなんてもんじゃない。きっと今、自分の顔からは火が出ている。

「…え、え?えええ!?」

渦巻く悩み週間は、まだ暫く続きそうだ。



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作中白石が言ってる話は私が誰かに聞いた話。本当か嘘かは知らんが。
ていうか白石を馬鹿にしてすみません。普通に中三な男子で書きたかったんです…。
結局謙也くんが光の事を好きなのかどうか、はっきりしないまま終わります。まぁうちの謙也くんなんで好きで間違いないのですけども。
多分光視点で続きます。…yes,多分。


10.04.16