「あれ、今日来れん言うてなかった?」
人の姿を見て開口一番、部屋の中央のソファに煙草を銜えて寝そべっていたそいつは素っ気なくそう言った。
財前光、24歳独身。今はもうお世辞にも可愛い外見とは言えない立派な成人男性だが、8年連れ添った俺の恋人。
お互いの家の合鍵を持ち都合のいい日、気が向いた日に家を行き来するようになってからは3年近く。思えばよくもまあこれだけ長く一緒にいるものだと我ながら感心しながら荷物をソファーの後ろに落とした。
「うん、そうやねんけど。思ったより全然早く仕事終わったし」
「俺飯喰うてもうたけど、どっか出ます?」
「や、ええよ。連絡入れんかったから多分喰うてるやろなと思ってたし」
落とした荷物からコンビニの袋だけを拾い上げて、光が起き上がって出来たスペースに腰を下ろす。
袋から飲み物と弁当を取り出すと、隣からそれを見た光はあからさまに表情をゆがめて見せた。
「うわ、またコンビニ弁当。あんた栄養偏り過ぎやろ」
「しゃあないやん、作る気力あらへんもん」
一人暮らしを始めた当初こそ気を使って出来るだけ自炊するように心掛けてはいたが、それが続いたのは最初の一ヶ月だけだった。
徐々に忙しくなる仕事、時間に追われる生活に、自分の中で優先順位をつけるなら食事はかなり低いところに位置づけされている。
ラップを剥がして弁当の蓋を開け、箸を割って手を合わせたところでひょいと弁当が宙に浮いた。何を思ったか弁当を取り上げて立ち上がった光は、何も言わずに台所へとすたすた歩いて行ってしまう。
「ちょお、光?」
「ご飯、せめてチャーハンにしたるから。野菜もう少し喰うた方がええって」
そう言って光が調理を始めた十分後にはとてもコンビニ弁当から出来たとは思えない夕食が俺の前に並べられた。
野菜を大幅にプラスしたチャーハンにはご丁寧に解した鮭も混ぜられている。
一緒に出してくれたスープは昨日の残りだと言うが、そこにも追加で具材を増やしてくれていた。
「おおー、凄いやん光。いつでも嫁に行けんで」
「そう思うならはよもろて。そんで養って」
「うん、後五年位したらな」
「遅」
軽口を叩いて笑い合って、俺がスープに口をつけたのと光が窓際で煙草を銜えたのがほぼ同時。
百円ライターの音が響く時、俺はいつも光の唇に目を奪われる。
「……何?もしかして不味い?」
「え?ああ、そんなわけないやん。めっちゃ美味い」
「ま、当たり前っすわ。愛情たっぷりやし」
満足気に微笑んだ光の口から吐き出される細い煙。その行く先を視線で辿って、俺は意識を食事へと無理やりに向け直した。
不意に冷たい風に触れて意識がゆっくり浮上する。ぼやける視界には薄暗い中天井が見えた。
数回瞬いて身体を起こして、すぐに隣に居る筈の人物が居ない事に気付く。そしてその一瞬後には、その行方は簡単に知れた。
「光」
窓際に寄って背後から声をかけると、光は振り返って少しだけ驚いたように目を丸める。
思った通り、光の手には火を灯した煙草があった。
「起こしました?」
「いや、なんか目覚めた。ちょっと冷えるな」
「台風きてるらしいから」
俺がサンダルを履いたのを見て、光はベランダの脇にある灰皿へ吸いかけの煙草を押しつける。
その仕草を目で追いながら横に並んで、少し考えてから一歩後ろへ移動した。そして背中から抱き締めて、首筋に顔を埋めて思い切り息を吸い込む。
「何してん」
「んー、25歳になった光の匂い嗅いでんの」
「何それ」
「誕生日おめでとう、光」
呆れたように笑いながら首だけで振り向いた光にそう告げると、一度ゆっくり瞬きをしてすぐまた前を向いてしまった。
「どうも。で、アラサーになった俺からは加齢臭がするとでも?」
「ちゃうちゃう。俺好きなん、光の匂い」
「……恥ずかし」
短く言ってするりと俺の腕から逃れた光はそのまま先に部屋の中へと戻ってしまう。
後を追って部屋に入ると光の姿は台所で、冷蔵庫を漁っているらしい間に俺は自分の荷物から小さな包みを取り出した。
「謙也さん何か飲む?」
「飲む。セブンアップ取ってー」
飲み物を持って戻ってきた光からペットボトルを受け取り、お返しに俺は先程取りだした包みをその手の上に乗せた。
途端きょとんとした表情になり目をぱちぱちと瞬かせる様は予想通りのもので。
「誕生日プレゼント」
「……ああ、よく買いに行く暇ありましたね」
「あるよそれ位。開けて開けて」
じっと包みを見つめたままの光にそう促す。包装紙をお世辞にも丁寧とは言えない破き方をして箱を開けた光は、目にした物に再び驚いたようだった。
「え…何これ、ライター?」
「うん。光そこのブランド好きやろ」
黒にシルバーのブランドモチーフが付いたフリントライター。店に入って一目で気に入ったそれを取り出して、再びじっと眺めた光は次に俺の顔を見る。
その顔にはなんで?と声には出さない疑問が浮かんでいて、俺は思わず苦笑を漏らす。
「光、俺が煙草嫌いやと思ってるやろ?」
「え?うん。違うんすか?」
「まあ好きでもないねんけど」
「はぁ?」
一気に表情を歪めた光の手を引いてソファーまで引っ張っていく。先に腰を下ろして隣をぽんぽんと叩けば、光も素直にそこに座った。
「さっきもやけど、お前煙草吸った後俺のキス避けるよな」
「……まあ、そうですね」
「俺は寧ろしたいんやんか」
「俺が煙草吸った後に?」
「そう」
頷いて見せると光は更に眉間に皺を寄せる。暫く黙った後、考えてもわからなかったのか、光は小さく溜息を吐いた。
「気付かれてるのは知ってたけど、何も言うてこんから謙也さんもやっぱ嫌なんやと思ってた」
「言いにくかってん」
「なんで?」
「いや、ちょっと恥ずかしくて」
「恥ずかしい?」
何が、と率直に聞いてくる光に今度は俺が少し躊躇った。けれどこの誤解は解いておいた方が後々互いの為にいいと、思いきって口を開く。
「こんだけ長く付き合ってるとな、キスもそら慣れてくるやん」
「まぁ」
「なんていうん、マンネリじゃないけど、光とキスするのなんかもう当たり前になってしまってたんやけどな」
「それは……しゃあないんちゃいます?」
「うん。けど、煙草吸った後の光とキスすると、なんか俺ドキドキして」
「は?」
「違う人とキスしてるみたいで」
一番恥ずかしいところを口にすると、やはり光はぽかんと口を開けたまま怪訝な表情を浮かべていた。
徐々に険しくなるその顔に、俺は慌てて誤解されそうな部分のフォローに入る。
「あ、別に他の人とキスしたい願望とかではないで!」
「……違うん?」
「違うわ!違う人、って感じたんも確かやねんけど……光の新しい味知った、みたいな」
「………」
「……光?」
押し黙った光に、怒らせてしまったかと焦って名前を呼ぶも反応は無し。
やっぱり言うのはまずかったかと戸惑っていると、急に光はぷいと顔を背けてしまう。
「……怒った?」
「いや……怒ってません」
「嘘や、ほなこっち向いて」
「無理」
「なんでや!」
「ええから十秒待てや!」
不意に怒鳴られてびくりと身が竦む。そのまま固まって待っていると、きっかり十秒かどうかはわからないが光がこちらに向き直った。
至って普通の表情にどう声をかけていいか悩んでいる間に、光はライターを持ったまま立ち上がり窓際へと移動してしまう。
「光?」
「これ、有難うございます。大事に使わせて貰いますわ」
「え?お、おん……」
ポケットから煙草を取り出した光は、一本抜いたそれを口に銜え俺のプレゼントした新品のライターで火をつける。
百円ライターとは違うシュッという音にも新鮮味を感じて、けれどそれを口に出しはしなかった。
暫くそのまま煙草を吸う様を眺めていると、視線はよそに向けたままの光がふいに小さく呟く。
「びっくりした……謙也さんに対して今さらこんなときめくとは思わんかった」
「え?」
俺が声を上げた途端こちらに視線を寄越した光は、もう一度視線を反らしてからソファーへと戻ってくる。
先程と同じように腰を下ろして、火がついた煙草を眺めながら再び呟きを漏らした。
「……俺も知りたい、謙也さんの新しい味」
「は?……ふっ、!」
は、と口を開いた端に光の手にあった煙草が差し込まれる。驚いて固まる俺に、光は微笑んで顔を寄せた。
「一口だけ、吸って」
「ん、んんっ?」
「すー、って。ほら、はよお」
何が何だかわかってないうちに急かされて、俺は言われるままに大きく息を吸い込んだ。
途端、慣れない煙に噎せてしまい盛大に咳き込んでしまった俺を、光は変わらず笑顔のまま眺めている。
「げほっ、ちょ、けほっ……な、何!?」
「次こっち」
「なっ、ぅむっ」
次いで押し付けられたのは、言うまでもない光の唇。
状況が理解出来ていない俺とは対照的に、光はすっかり入り込んでいるようでねっとりと舌と唇全体で濃厚なキスを深めていく。
上唇を吸われてようやく我に返った俺は、負けじと光の下唇に吸いついた。
久しぶりの苦い光の味。甘い物好きの光からは想像も出来なかったこの味は、やはり俺の心を酷くドキドキさせた。
「んっ……苦かった?」
「……苦いし苦しかったわ、あほ」
「すみません、ちょっと久々に盛り上がったもんで」
悪戯っ子のように笑う顔は出会った頃とそう変わらずに見えるのに、一度笑いを収めると途端に艶っぽく微笑む様はやはり年齢を重ねた証拠で。
「……俺も盛り上がってきた」
「そら良かった。じゃああっち、行こ」
くい、と服の裾を引かれてまたもや胸が高鳴り始める。付き合って8年目にしてこんな気持ち味わえるなんて、こっちこそ思ってもみなかった。
先に立ち上がった光は火がついたままで灰皿に放置してた煙草に気付いてそれを拾い上げる。
そのまま口に運ぼうとする腕を掴んで取り上げた煙草を灰皿に押し付けて、素早く、今度は俺の方からキスをした。
ベッドに移動するのももどかしいなんてそれこそ何年ぶりで、俺はそのままソファーに光を押し倒す。
部屋に充満した煙草の煙が気にならなくなるまで、そう時間はかからなかった。
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もの凄くどうでもいいですがこの話の光は某レストランのコックさんという設定があります。どうでもよすぎて書きませんでしたが一応。
なんでこんな話にしたのかもよくわからない勢いだけの話ですが取りあえず光おめでとうと言いたくて、夏。
謙也さんが光に送ったライターを勝手に私のと色違いにしたという更にどうでもいい話。謙也の飲み物がセブンアップなのもね!笑
光、早く謙也に嫁に貰われるといいね!
11.07.20